昨日の夜、家族より一足先に寝ていると、妻と娘が話している声が聞こえてきました。
妻が、地球の寿命について話しているのが聞こえました。
このブログでも以前触れたことがありますが、太陽がどんどん膨張して後50億年くらい経つと地球は飲み込まれてしまって消滅する、というような内容でした。
朝、妻に聞いてみると、娘は
「みんな死んじゃうの?」と泣いていたそうです。
妻は、「ずっとずっと先の話だよ」
と話したそうですが、前にも娘は未来のことを考えて泣いてしまったことがあったそうです。
普通は、
「そんなことで泣くなんて子どもだなあ、かわいいなあ」
なのでしょうが、みい太も地球最後の日、とか人類滅亡についてよく考えるんですよね。
結構いい大人になってからもよく考えます。
さすがにそれが怖くて泣くことはないですが、
「いずれ終わりが来ることは確実なのに、どうやって幸せに生きていったらよいのか」
ということについて考えます。
自分自身はまだ、マインド次第で幸せに生きていけると思うけど、自分の子孫たちはどういうモチベーションで生きて行けばよいのか、と思うんですよね。
地球環境はより悪くなるだろうし、少子化も進むだろうし、戦争が起こる可能性も0ではない(というか結構高いのか?)。
じゃあ、子孫を残さない方がいいのだろうか・・・。
大人は気にならないんでしょうか。
考えていたらやってられないから気づかないふりをしているのか。
前も書いたことがあるけど、「持続可能な社会」なんて、どこまで持続すれば合格なんでしょうか。
永遠は不可能なわけですから、どこかで、
「えー、持続可能な社会を目指してこれまでやってきたわけでありますけども・・・」
なんて、各国のリーダーが敗北宣言みたいなのをするのだろうか。
SDGsなんて、庶民に希望をもたせるための、とりあえずのまやかしなのか。
最近、インスタを見ていたら、10年以上前の石原慎太郎さんの国会質疑の動画が出てきました。
亡くなった安倍元総理に話している内容の中で、
ポーランドの詩人ゲオルグの言葉だとして、
『たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える』
という言葉を挙げていました。
「明日」は大げさだとしても、もし地球の終わりが近いとなったら、自暴自棄な人ばかりになりそうですが、そんな状況の中で「リンゴの木を植える」心をもつことが、もしかして人間の目標なのではないでしょうか。
特に、世界のリーダー達にそんな心をもってほしい。
後、自分の子どもたちにも。
妻から娘の話を聞きながら、
地球の未来を考えて泣いてしまった娘の方が正しくて、
それを「かわいいねえ」と笑う大人の方がおかしくなってしまったのではないか、と思った話でした。