みい太は現在育休中ですが、妻は現役の教員です。

妻から職場のことを色々と聞きますが、学校の現状は厳しいな、と感じています。

圧倒的に人手不足です。

圧倒的な数的不利を、数人の能力の高い先生で分担しあって、なんとか凌いでいる。

そんな状況です。

いかに能力の高い先生とは言え、どんどん疲弊していきます。

先生方がそんな状況で、子どもたちにとってよい教育が行えるとは思えません。

先生方が苦しんでいる学校が、子どもにとって魅力的なわけがない。

そんな妻の職場を支えている頼れる先生、という方がいらっしゃるそうです。

退職されて、再任用で働いているのですが、校長まで勤め上げた後、幼稚園の園長も勤め、さらに現場に戻られて、担任として働いている。

校長まで勤めた方なのに、偉ぶるところはなく、周りの先生にも気を遣い、

いいよ、やっとくよー

とみんなが働きやすいようにしてくれている。

子どもたちからも人気があり、面白い小話みたいなのをいつも聞かせてくれるそうです。

こうした本当に神様のような先生が今の学校をギリギリのところで支えているのだな、と思いました。

日々、必死に仕事をしていたみい太なんて、定年まで働いたら、その後廃人のようになってしまうでしょう。

また現場に戻るなんて超人的なことだと思います。

でも、みい太

「すごいな」と思うと同時にモヤモヤする感覚があって。

なんだろう、この気持ち・・・

と、考えてみたら、

悔しいんですね。

うらやましさもある。

自分もそうなりたかったのになれなかった・・・

という負い目でしょうか。

みい太は3月をもって教員を退職することにしたのですが、

できることなら自分らしく教員を続けたかったんだなあ、

と、自分のことながら改めて感じました。

いや、ずっとそう思っていたけど、認めるのが嫌だったんでしょうね。

新しいチャレンジ!

とか、

柔軟なキャリアチェンジ!

一つの職場で定年まで働くのは古い!

とか、かっこよく自分をごまかすことはできるのですが、

本当は、先ほどの先生のように、

みんなに頼られ、子どもに慕われ、生涯教師として全うしたかった

でも単に、能力不足で辞めざるを得ないのではないか。

そんな人間は、どんな場所でも、務まらないのではないか。

常にそんな思いが心の底にあります。

現状の教育に不満はあるけど、それを改革すべく頑張っている先生方に、申し訳ないと思わないの?

と、心の中の自分が言っているような気もします。

自分勝手。

自分が見えていない。

いい大人なのに成熟していない。

いつか、そんな思いを乗り越えられる時が来るのだろうか。

いや、乗り越える、という考えが間違っているかもしれない。

もう一人の自分は、もう随分前から自分に対して色々言ってきます。

乗り越えるのではなく、仲良くしなくてはいけないかもしれませんね。

それも自分だから。

こんな思いを表現できる「先生失格」の場があってよかった、と思うみい太でした。