歌の歌詞ではありませんが、夫婦であっても考え方の違いというのは、やっぱりありますよね。というか、違って当たり前ですよね。

こんなみい太にも妻がいます。自分は悩みが多い人間で、常に自分に自信がないなあ、という感覚があるんですが、妻はそういうタイプではありません。ざっくり言うと自分はマイノリティタイプで妻はマジョリティタイプだと思います。

最近感じることがあって、マジョリティタイプの人って、マイノリティタイプの人の感覚を理解できないんですよね。マイノリティタイプの人は、マジョリティタイプの人の感覚が理解できる、とまではいかないにしろ、「たぶん、そういう風に感じるんだろうな、いいな、俺もそう思いたいよ・・・」みたいなところはあると思うんですよ。

例えば、自分は方向音痴なので、知らない場所に行く時は、迷う時間も計算に入れて、すごく早く出発したいけど、妻は「何それ、意味わかんない」みたいなことを言うんですよ(笑)。

自分は、母親が専業主婦で、父親は公務員で一馬力でやっていたから、進学を考える時は、親から基本的に国公立ね!と言われて、何の疑問ももたなかったんですよね。一方妻は、両親共働きで、高校、大学は私学。

この間、ふと、子どもの進学の話になって、国公立でいいんじゃない?みたいなことを言ったら、

「それはかわいそう、行きたいところに行かせるべき」ということを言われて、ちょっとカルチャーショックでした。

「俺、かわいそうだったの?」って感じです。

妻は、海外へのホームステイの経験もあって、でも、それがすごく恵まれているという感じではなくて、

「いや、普通に行かせてもらったー」っていう軽い感じなんですよ。

自分からすると「海外?セレブ?」みたいな感じがあって、ふと、「あれ、自分って貧しかったのか?」と思ってしまいました。自分も妻も、別に恵まれてもいない中流家庭で育ったと思っているんだけど、その中でずいぶん差があるんだ!と感じました。

親の考え方にもよると思うんですが、自分の親は人づきあいが好きではなくて、親の友達、という人にほとんどあったことがありません。親戚づきあいもほぼなかった。

妻と結婚してから、すごく、知り合いだという人にもらいものをするんですね。これもカルチャーショック。こんなにもらっていいんですか?って感じ。自分の方の知り合いという人はほとんどいなくて、もらいものなんてほぼゼロに等しい。

ああ、こんな環境で育ったら考え方も変わるよな、って感じです。子どもの誕生日もいろんな親戚からプレゼントをもらえるのでびっくりしました。親からしかもらったことがない自分は、ちょっとぜいたくしすぎなんじゃない・・・?って思っちゃうくらい。

お兄ちゃんの誕生日に誕生日じゃない妹や弟もなんかもらいものをしていて、「もらいすぎなんじゃないの・・・?」と思っちゃいました。感覚がちがうんだなあ、と感じました。

だから、自分が生きづらさを抱えながら必死で仕事してます…という感覚は一生伝わらないんだろうな、と思います。

いつも「みんな仕事なんて嫌にきまってるじゃん!」って言われるんですよね(笑)。

がんばってるんだけどな。