少し前に、裏の家のおじさんが亡くなってしまった、という話をしました。

先日、通りがかった時に、おじさんの家に2台あった車の内の一つがなくなっているのに気づきました。

おじさんは、軽トラと普通車(たしか日産のオーラ)に乗っていました。

それが軽トラだけになっていた。

一人暮らしだったけど、2台持っていたのは車好きだったからかな。

前に、娘が学校から帰って来て、

「裏の家、たくさん車がとまってた。」

と言った時があったので、親類の方が来て、いろいろと片付けをしていったのかもしれません。

突然亡くなったら、誰かが車の処分もしなければいけないですよね。

勝手口には、いまだにおじさんの物と思われるサンダルが一足置かれたままだったけど。

車をロードスターに変えなければ、おじさんと話すこともなく、亡くなったことをそれほど気に留めることはなかったと思います。

みい太が、

「今できることは今やる!」

「どんどんやりたいことは実現していく!」

と思ってロードスターを買ったから、今、こうしておじさんについて書いている。

人の縁というものは不思議だなあ、と思いました。

おじさんは亡くなったけど、

みい太も家族も普通通りの生活をしています。

子どもたちは全くと言っていいほど関わりがなかったので、

「裏のおじさん、亡くなっちゃったんだよ」

と言っても、

「ふーん」

という反応。

ふと、

自分が亡くなっても、関係ない人は全く気にも留めないんだよな。

と思いました。

そりゃそうだ。

家族は悲しむかもしれないけど、関係ない人は全くの通常営業。

でも、

普通のことなのかもしれないけど、

改めて想像してみると、違和感、というか虚しさを感じてしまいます。

人の一生ってものすごく重みのあるものじゃないのか。

ひょっとしたら、

亡くなっても誰も悲しまない、という人生もあるのかもしれないけど。

先日「七つの習慣」という本を読みました。

そこに、

自分の葬儀の場面を想像してみる

という箇所がありました。

集まった人たちに、あなたの人生をどのように語ってほしいだろうか、

彼らの言葉で、あなたがどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいだろうか・・・

と、いうようなことが書かれていました。

うーん。

どういうことを言われたいか、か。

まあ、悪く言われたくはないけど。

でも、葬儀のような場って本音はあまり言えないですよね。

葬儀が終わった後の子どもたちの会話で、

「まあ、でもお父さん、楽しそうだったよね。」

みたいな感じがいいかなあ。

でも、

長男あたりが、

「残された俺たちは大変だけどな」

なんて・・・。

そうならないように、親としてちゃんとしたいと思います(笑)。

できるかなあ。