今日は、小学1年生の娘が朝から機嫌が悪く、時間になっても着替えず、朝ご飯も食べませんでした。少し迷って、休ませてしまいました。
以前から寝起きが悪く、朝は泣きわめくことが多かったのですが、今日は下の保育園の二人の準備もあり、みい太自身も余裕がなく、
「もう、休む?休もうか?」
と言ってしまいました・・・。
でも、
「学校ってそこまでして行く価値があるのか?」
と思ってしまうんですよね。
学校の先生は、
「また、最近の親は簡単に休ませて・・・、そんなことだから最近の子はだめなんだよね・・・」
と思われるかもしれませんが、みい太も教員です。
立場としては教員・保護者、どちらの気持ちもわかります。
でも、自分が担任をしていた時のことを考えても、泣きわめく子どもを無理やり連れて行くほどの価値は今の学校にはないかな・・・と思います。
担任をしている時は、登校を渋る子どもの保護者の方に、
「お母さん、学校に来させてもらえれば、なんとかするんで!なんとか連れてきてください!」
なんて、言っていましたが、嫌がる子どもを学校まで送り届ける、というのはとても大変だということが、育休を取ってみて改めてわかりました。
もっとみい太が若い時だったら、迷いなく泣きわめく娘を車に乗せて送り届けたかもしれません。でも、歳をとって、体力面も精神面も衰えたのか、迷いが出てきてしまいました。
「別に何が何でも連れて行かなければいけないものでもないよなあ・・・」
大事な行事で自分の娘に役割があって、代理で他の子にやらせるのが難しいとか、そういうケースの時は休まれると、とても教員側としては困りますが、通常の日であれば、そこまでして行かせる価値は少なくともみい太は見出せません。
お便りには今日の予定に「算数の引き算のテスト」と書いてあったので、担任の先生としては、後からテストやらせるの面倒くさいだろうな、とか担任の立場も考えてしまいますが、だからと言って無理やり行かせるのもなあ・・・。
どうしても行きたくなかったら、一度休んでみる、というのもいいんじゃないか、と思います。
社会人になったら、泣きたくても仕事に行かなくてはいけない、と言われるかもしれません。
歯を食いしばって社会人としての責任を果たす、という経験も必要だと思う一方、何十年もそういう人生を送るのは違うような気がします。
もし、嫌なことがあったら、一旦、そこから遠ざかって、別な方法を考える、というのも大切だと思うんですよね。
嫌だけど休めなくて、追い詰められて命を絶ってしまう、という大人もたくさんいます。
「何が何でもやらなくてはいけない。」
「一度決めたら最後までやらなくてはいけない。」
と考えていると、苦しくて仕方ありません。
「まあいいや」と思えるくらいがちょうどいいと思います。
ちなみに、みい太自身は「まあいいや」という考え方がすごく苦手で、休むことにとても罪悪感を感じてしまいます。
みい太自身も、義務感にかられて生きてた人間なので、これまでの人生を振り返ると反省や後悔ばかりです。
だから、意識的に自分の子どもには、義務感に囚われないように接したいと思っています。
今回娘を休ませたことで、休み癖がつくなど、悪影響が出るかもしれませんが、
まあいいや!
今日は、娘と二人きりの休日を噛みしめたいと思います。