突然ですが、今年度限りで18年勤めた教員を退職することにしました。
理由については以前書きました。(「果たして育休から復帰してやっていけるのか・・・退職か?」参照)
昨日、勤務先の校長に、退職の意向を伝えてきました。
今は、なんだか、現実感のないような、本当にこれで良かったのか、いや、これで良かったんだ、とか、色々な感情が渦巻いているような心境です。
育休が始まってから半年。
4月から、
「10月の人事希望を出す時期まで半年かあ・・・。それまでに今後の身の振り方を決めなくちゃなあ・・・。」
と、漠然と考えていましたが、あっという間に半年が経ってしまいました。
「校長室に会って、直接言わなくちゃいけないんだよなあ・・・。」
と、校長室で退職の意向を伝える自分を想像したこともありました。
そして、壮大な音楽がかかるわけでもなく、スローモーションになるわけでもなく、日常の連続のまま、淡々と「その日」が来てしまいました。
2才の子は朝から微熱があったので、保育園を休ませました。
大事な校長との面談があるので、連れて行くのはどうしようか、と迷いましたが、息子が一緒にいることで気持ちが落ち着くような気もしました。
息子をだしに使っているようで、情けないような気もしましたが、正直そう感じたのです。
でも、もしかしたら、
「パパの大事な日だから」
と、わざと熱を出してくれたのかもしれません。
この時期の子どもって神様みたいなところがあるから。
この子が大きくなったら、
「あの時、いてくれて心強かったよ。」
と伝えようかな。絶対覚えてないだろうけど。
年長の息子は通常通りの登園なので、送っていくと、
なんてこった!
スイミングの用意を忘れてしまいました。毎週のことだから、忘れないはずなのに・・・。
やはりみい太にとって「普段の日」とは違ったんでしょうね。
慌てて家に戻って届けました。
気持ちを整えて、息子を連れて久しぶりに勤務校へ。
校長と挨拶し、校長室のソファへ。
(想像していた場面だ・・・。)
息子を連れて行ったので、しばらく息子の話題になった後、
意を決して、
「実は、退職を考えていまして」
と切り出しました。
体調を崩していて勤務の継続が難しいこと、育児に専念したいことを伝えました。
校長は、少し驚いたようでしたが、よく話を聞いてくださり、
「先生と働くのを楽しみにしていた。残念だけど、先生ががんばってきたことは、みんなわかっている。まずは、体をしっかり治して。」
と言ってくださいました。
校長は、今年度から赴任した方だったので、みい太は一緒に働いたことはありません。
引き止められたり、別な形での勤務の継続を提案されるかな、と思っていましたが、いい意味であっさりとしていて、ありがたかったです。
今回の育休は息子が2才になる年度での取得だったので、かなりイレギュラー。
もしかしたら、管理職も、育休を取得した時点で退職の流れも予想していたのかもしれません。
面談を終えて、誰にも会わずにひっそりと帰ろうと思ったら、丁度子どもたちの掃除の時間にかち合ってしまい、昨年度の教え子に遭遇。
こんな時は、こんなものですね(笑)。
「おーい!、みんな~○○先生だよ!」
と呼びかけてくれちゃいました。
知らないお兄ちゃん、お姉ちゃんがわらわらと集まってきたので息子もちょっとこわばった表情。
あまりここで大騒ぎになってもまずいので、「またね!」と言って、さらっと学校を後にしました。
久しぶりに「先生!先生!」と言われたなあ。
車に戻ると、丁度昼時ということもあり、息子はあっという間に眠ってしまいました。
「役目は果たしたから、もういいでしょ?」
って感じかな?
でも、ありがとう、助けられたよ。
18年の教員のキャリア(育休を含めると19年ですが)を終えることとなりましたが、胸中は複雑です。
判断は正しかったのか。
病休を選択して、教員の立場を守った方がよかったのか。
色々考えてしまいます。
こういう時、
「よっしゃあ!これから何しようかな!ワクワクする~」
という人もいると思いますが、みい太はモヤモヤしてしまうタイプです。
でも、自分で決めたことです。
今までなんとなく生きてきた人間だから、ずっと、
「自分の人生を自分で決めたい」
と思っていました。
教員をやめて、新しいことにチャレンジするのなら、まさに今が最大のチャンスです。
「やっぱり1年様子見ようかな・・・」
と言っているようでは、1年後も決断できないでしょう。
19年前、新任の頃、仕事のできなかった自分は、睡眠時間もほとんどなくて、毎日フラフラで働いていました。
辛くて辛くて、たまりませんでした。
でも、やめるという選択肢はなかった。
そんな発想もなかった。
19年後の今、それなりに年を取って、自分の人生は自分で決められる、ということに気づきました。
教員を辞めたら、バラ色の人生が待っているとは思いません。
教員を続けても、退職しても、どっちにしても苦しむんだろうな、と思っています。
でも、どうせ苦しむなら、今までと違うことやって死にたいな、と思います。
「死?!」
と、驚かれるかもしれませんが、みい太は中年になってから、何かと「死」を意識するようになりました。
死を意識する、というよりは、自分に与えられた時間の有限性を意識するようになった、という感じです。
そして、自分の人生に納得して死にたい、と思うんですよね。
そうやって死ねる人は少ないかもしれないけど、どんな結果になっても、自分で決めたことなら納得できるじゃないですか。
みい太の性格上、晴れ晴れと夢に向かって突き進む!っていうのは難しいけど、また一歩踏み出せたことは喜びたいと思います。
話は全く変わるようですが、昔からマイケル・ジャクソンが好きでして。
マイケルの曲に「マン・イン・ザ・ミラー」という曲があるのですが、(過去の記事「マン・イン・ザ・ミラー」参照)
「世界を良くしたいなら、まずは、鏡の中の男から始めよう」
という疲れた中年男の心に刺さりまくる歌詞なんです(笑)。
「変わるのさ、一生に一度・・・」という歌詞で始まるこの曲。
とても良い曲なので、ぜひ聞いてみて下さい。
みい太も一歩踏み出せたよ、マイケル!
以上、節目の報告でした。