先日、小4の息子と小1の娘の運動会を見てきました。
全国的には春に行われることが多くなってきた運動会ですが、みい太が住んでいる地域では秋に行われています。
また、息子の学校では運動会を平日に行っています。以前は土曜日実施で月曜が振り替え休日というパターンが普通でしたが、平日開催も増えているようですね。
平日だと給食を出せるので、保護者の弁当作りの負担軽減、悪天候で順延した時の日程の確保が容易、などの理由が挙げられています。
息子の学校も、2日間雨で延期となり、火曜日開催の予定が木曜になりました。
また平日、休日開催に関わらず、午前中で終了し、下校するという学校が増えてきました。
昔は、午前の部が終わったらお昼は保護者の作った弁当を囲んで、引き続き午後の部、という流れが当たり前でしたが、現在は少なくなっているのではないでしょうか。
以前は当たり前だった組体操なども危険だという理由で種目から消えつつあります。
息子の学校も、徒競走、遊競技(玉入れ、綱引きなど)表現(高学年はソーラン節、低学年はダンス)、後は、高学年による鼓笛の発表があって終了でした。
11時くらいには全種目終了していたと思います。
息子と娘は徒競走で1位になってご満悦でした。(小規模校なので、1レース3人しかいないんですけどね・・・)表現も息子はソーラン節を頑張って踊っていたし、娘はダンスを少し照れながらも踊り切りました。
でも・・・、
面白くなかった。
みい太は教員だから、教員側の苦労も分かるし、午前中開催で種目数が少ないとは言え、日々の授業を行いながら、運動会のための練習時間を確保して子どもたちに指導して保護者に見せる形までにするにはそれなりの労力が必要だということは分かります。
でも、批判を覚悟で言うならば、自分が20代、30代の頃に行っていた運動会からすると、見ごたえが全くありません。かけた時間が全く違うから当然ですが。
若い頃、運動会のダンスの振り付け、指導も全て任されて必死に曲選びから曲の編集までして、1か月くらいかけて振り付け作りもして、フラフラになったけど、本番を終えた時の強烈に湧き上がる達成感というものが、最近の運動会では、得られません。
教員が、面白くないなあ、と思ってやっているので、見ている保護者も面白いわけがありません。
知り合いのママは、
「2日順延したから、休み取るの大変だったのに、こんな感じかあ・・・」
と言っていました。
やはり、労力をかけていないことは、保護者にも伝わってしまいます。
学校では、今、あらゆるところで「働き方改革」ということが言われ、色々な行事にも、なるべく時間をかけないようになってきました。
でも、労力をかけなくてはいけないところも削られてしまっているような気がします。
そうじゃなくて、あまり意味のない時間ばかりかかる会議をばっさり切ったり、トップダウンで降りてくる新しい取り組みを突っぱねたりしていかないといけないのに。
「働き方改革」と言われているのに、相変わらず仕事は多いですし、楽ではありません。
みい太が、20代の頃、初めて職場で時間外勤務の時間を集計するという取り組みが始まりました。15年以上前になりますが、当時エクセルで集計した時間は160時間を超えていました。
今では、100時間で過労死ラインと言われています。
まあ、160時間の時は、やっぱり死にそうでしたけど(笑)。
独身だったし、睡眠時間以外は全て仕事をしていたような感覚でした。本当に辛かった。
でも・・・、
行事を終えた時の子どもたちとの心の結びつきとか、1年を終えた時の達成感は、教員以外では味わえない、なんとも言えないやりがいが感じられました。
もちろん、持続可能な働き方ではなかったです。そんな働き方を続けたから、今、心身の不調で退職を考えているわけですからね。
でも、教師が信念をもって、やりがいを感じて仕事をしていたから、子どもたちもついてきてくれたし、保護者からも信頼を得られていたのだと思います。
今は、教員がやりがいを感じて仕事ができる環境ではありません。
ブラック、ブラックと言われ、教員のなり手も少なくなり、現場は限界寸前です。先生方が生き生きと働けていないので、子どもたちが学校が楽しくないと感じるのは当然、と言えます。
先生が生き生きと笑顔で楽しく仕事をしていれば、子どもたちも自然と先生のことが好きになりますし、学校にも行きたくなるものです。
はっきりいって、20代の頃、ろくに授業研究もしないで、めちゃくちゃな授業ばかりしていたけど、(体育の授業でみい太がダンスを踊って、その感想を書く、とか、音楽の授業でマイケル・ジャクソンのスリラーのビデオを鑑賞させたり・・・そんなことが許された最後の時代だったかもしれません)先生自身が楽しんでやっていたからか、子どもたちも誰も文句を言いませんでした。
「先生のおかげでダンスを始めました」とか「最高に楽しい1年でした」と言ってくれた子もいたんですよ。
先生の役割は勉強を教える、ということはもちろん一番だと思いますが、親とは別な大人のモデル、という役割もあると思うんですよね。
みい太は「大人ってつまんないな」と思われるのは悲しい、と思って、とにかく子どもたちが楽しめるように日々ぶっとんだ授業を考えていました。
今は、そんな授業はできなくなりました。画一的で、誰がやっても同じようにできる授業計画に沿って、淡々と学習が進んでいきます。学習内容も多く、余裕もほとんどありません。
みい太は、
子どもたちに先生の人間らしいところを見せることが、信頼関係を作るために必要
と、考えているのですが、今は余分な話をする時間もありません。失敗談や、辛かった経験を話すことで、大人の弱みを見せるのが一番の道徳だと思うんですけどね。
色々なものが削減されて、学校は随分「改革」されましたが、面白味や人間味まで削減されてしまいました。
まあ、「改革」をしている優秀な方々が面白味や人間味がないからなのかもしれません。
そういう方々には、教科書の内容が全く理解できず、授業の内容も全く理解できない子どもの気持ちは分からないでしょう。
そういう子たちに、「人生って面白いんだぞ」と伝えるのが教育の役割だと思うんだけどな。
「学校が楽しい」という子がどんどん減っているような気がします。
そして、「仕事が楽しい」という先生も。
学校がどんどんつまらなくなっています。