自ら先生失格を自認するみい太ですが、昔は結構頑張っていました。過去に勤務していた学校を離任する時に、子供達から感謝状をもらったことがあります。

若かったから、本当にがむしゃらにがんばっていました。毎日朝5時から夜10時までが基本コース。

勤務時間がめちゃくちゃすぎて、管理職の先生にお叱りを受けたことが、なぜか保護者にも伝わっていました(笑)。

でも、がんばっていた内容が、学級通信を毎日出したり、運動会の踊りの振り付けを徹夜で考えたり、ひたすら掲示物を作ったり、そんなのばっかり。

授業研究なんてほとんどしていませんでした。というか、授業を後回しにしていた。

そんな本来やらなくてもいいことをひたすらがんばりながら、毎日、フラフラで出勤して、出勤簿の果てしない空白を見て、1年が永遠のように感じていました。

さすがに今は、一通り授業はできますが、授業について若い先生に聞かれると本当に困ります。

「いいよ、好きにやれば。」

って言っちゃうんですよね。器が大きそうな言葉ですが、実態は中身が空っぽのおじさんです。

でも、そういう立場になった時に、猛烈に仕事がつまらなくなってしまったんですね。

立場的に、はちゃめちゃな先生はもうできない。そうすると、子どもとの関係に距離ができる。

自分は子どもたちと距離が近い感じでずっとやってきたので、難しさを感じます。

また今は、働き方改革で、運動会などの行事もかなり簡素化されています。

楽なんだけど、「これ、見てて面白いかな・・・」という運動会になってしまっている。

でも、先生方の運動会の反省には、「すばらしい運動会でした!」「子どもたちが輝いていました!お疲れさまでした。」とか、書いてあるんです。

まあ、リップサービスかもしれないけど、自分が昔やっていたことを考えると胸を張れないというか。

「こんなんでいいの?」と思ってしまう。

話が逸れてしまいましたが、今の時代「いい先生」ってどういう先生を指すんでしょう。

子どもにとっての「いい先生」

保護者にとっての「いい先生」

同僚にとっての「いい先生」

家庭を犠牲にして、子どもに寄り添ってくれる先生?

授業が分かりやすくて成績を上げてくれる先生?

感謝状をもらったみい太は、「いい先生」ではなかったのか。

もう、十数年前の話ですから、当時の子達は成人して、就職しているかもしれない。授業そっちのけで、休み時間一緒に遊んで、指導案そっちのけだったけど、子どもたちに楽しい時間を!と思ってやってきた自分のやり方は間違っていたのだろうか。

自分の仕事は、その子たちの人生に何か刻むことができたのか。

感謝状の

「私たちは本当に幸せでした。」

の一文を何度読み返したか。

それでいいんだよ。先生のやり方で突き進んでください!

ってだれか言ってくれないかな。なんか、最近違和感だらけです・・・。