ものすごく久しぶりとなってしまいました。
体調を崩したり、肩を脱臼したり色々ありましたが、
単純にブログを書く気にならなかった
という感じです。
自由気ままに書いているので、気分が乗らない時に無理して書いても、嫌になっちゃうから。
毎日投稿している人のことを思うと、ちょっと恥ずかしいのですが、まあ、人と比べず、自分のペースで書いていきたいと思っています。
さて、育休生活も7か月を超え、学校のことを考えることもほぼなくなりました。
前は、
「今、一時間目の途中だな・・・」
とか、
「掃除の時間だな・・・」
とか、頻繁に考えていたんですが、人間の「慣れ」とは面白いものです。
たまに、教員をしている妻から今の学校の現状を聞くのですが、
正直、
「もう、教員はしたくないなあ・・・」
と感じます。
いや、
教員自体はすばらしい仕事だと思うんですが、
今の教員を取り巻く環境が厳しすぎる
ということです。
今後、教員に求められる資質としては、
何を言われても動じず、淡々と最低限の仕事をこなし、定時に帰っていくメンタルの強さ、
みたいなものなんじゃないでしょうか。子どもへの愛情とか、そういうものではなくて。
そういうメンタルの強さをもっていれば、教員は、安定したとてもよい仕事だと思います。
悲しいことだけど。
みい太はメンタルの弱さには自信があるので、そういう淡々とした働き方には向いていなかったんだと思います。
昔から感じていたことではあるのですが、
最近特に、
「自分は人とは違う」
という感覚にさいなまれます。
今は育休中で自分を見つめなおす時間があるので余計感じるのかもしれません。
教員時代(まだ退職はしていないけど)は、無呼吸で全力疾走しているような感じだったので、自分を振り返る余裕もありませんでした。
これは、一番身近な妻との関係でもよく感じます。
妻はいわゆる「普通」の感覚をもった人で、社交的で、テキパキ物事をこなすのも苦にならないタイプ。みい太が苦戦する家事全般も会話をしながら、サクサクこなしていくので、いつも「かなわないなあ・・・」と感じてしまいます。
まあ、ベテランの主婦だから当たり前かもしれないけど。
ただ、やっぱりそういう人って、「そうじゃない」人の気持ちがあまり理解できないんですよね。
妻の職場に臨時で新しい先生が来ているらしいのですが、教員の経験がほとんどない方らしく、色々とうまくいっていないようです。
前からわかっていたはずの予定変更をなぜか直前まで言わない、とか、考え込んでしまって、なかなか行動に移せない、とか、妻もどう対応してよいか、ちょっと困っているみたいです。
「絶対前からわかっていたはずなのになあ」
と妻は言うのですが、この感覚、ちょっとみい太はわかるんですよね。
「あ、言わなくちゃな。あ、でも言ったら、どんな反応されるんだろう。言わない方がいいかな。でも、でも・・・」
とか、頭の中で散々考えたあげく、口に出して言えない、という状態。
妻に、このことを言ったら、
「いや、言えよ!」
という反応(笑)。
まあ、そうですよね。
「普通」の人には全く理解できない感覚だと思います。
その新しい先生のことは全く知らないので、あくまでも想像ですが、みい太はなんとなく、
「うーむ、その先生の気持ちもわかるかも・・・。」
と思ってしまいました。
みい太は、もともと教員向きのパーソナリティではなかったから、若い時は、その先生のような状態になっていたのかなあ、と思います。
多分、当時の先輩の先生達は、
「あの新任、まじで使えねえ!わからなかったら、わからないって言えよ!」
なんて、家で愚痴っていたのかもしれません(笑)。
若い時は、勢いでなんとか頑張っていたみい太ですが、年を取ってきて体力も落ちると、もともとの特性である「行動に時間がかかる」というところが浮き彫りになってきた感覚があります。
家事などでも、わあーっ、と動いていると、ちょっとリセットする時間が欲しくなってしまうんですよね。
そして、歳を取って、より疲れやすくなってきてしまいました。
これは、あるあるなんだと思いますが、そういう理由で休もうとすると「怠けている」と思われてしまうんですよね。すごく体力のある人から見たら
「意味わかんない!」
って感じなんだろうな。
「いや、自分をリセットする時間が必要な特性がありまして・・・」
と説明すればいいのかもしれないけど、まだまだ世間一般の感覚としては、ハードルが高いです。
とにかく、HSPとか、発達障害とか自閉症のような人には、世間一般の感覚、という物差しが通用しません。みい太はそういうカテゴリーに入っているかどうかは、性格にはわかりませんが、
「一般的な人と違う」
という感覚は強くもっています。
そして、
「理解されない」
という感覚もあります。
話しても理解されないことが多いので、話さなくなってしまいました。
こんな感覚をもっているので、保育園の先生とか、他の保護者の方と話した時にも、
「今のは普通のやり取りだったかな・・・」
と考えてしまいます。
変に思われなかったかな。自然な会話だったかな・・・。
後、これは昔からなんですが、みい太は、注意して見ている範囲がすごく狭いようです。
この間、保育園でクリスマスのイルミネーションが取り付けられていたのですが、下の子が指さすまで気づきませんでした。
普通の人だったら登園した瞬間にすぐ気づくんだろうけど。
本当に自分の目の前しか見えていない感覚なんじゃないかと思います。
このブログの熱心な読者(絶対いないけど)ならご存じだと思いますが、みい太が極度の方向音痴なのも、目に入ってくる情報量が少なすぎるからかな、と思います。
だから、
「ほら、あそこの交差点のところに○○色の家があるじゃない」
みたいな話に全くついていけません。
毎日通る道なのにわからないんですよ。
妻は、最初は信じられなかったらしいです。
今は呆れて何も言いませんけどね。
そんなキャパだから、情報量が多いとパンクしてしまいます。
こんなんでよくマルチタスクと言われる教員をやっていたな、と我ながら感心してしまいます。
がんばっていたんだなあ。
ちょっと話は変わりますが、我ながら腑に落ちたことがあります。
みい太、スキーが好きなのですが、スキーをしている時は落ち着くんです。
なぜかな、と思ったら、ゲレンデって大体真っ白じゃないですか。
情報量が少ない(笑)
だからか!
と思いました。
だからなのか、スキーの時は自分を取り戻せる感覚があるんですよね。
でも、自分をリセットする目的としては、できれば一人で行きたいんだけど、子どもがいるから無理だよなあ。父親としての役割もありますからね。
果たして今シーズンはどんなスキーシーズンになるのだろうか・・・。
いつの間にかスキーの話になってしまいました(笑)。