1年くらい前に「親の影響」という記事を書いたのですが、改めて親の影響は大きいと感じています。
自分の考え方や性格を考えると、親の影響を受けているし、
親のことを考えるとマイナスの感情が湧き上がることが多くて悩んでいます。
悩んでいる、というか、もう悩んでいるのが普通、みたいな感じです。
小さい頃からの親への負の感情というのが、40代の今になっても変わらない、というのですから普通ではありませんよね。
よく、「自分が親になれば分かるよ」なんて言われますが、結局、親になってもよく分かりません。
大体世間一般では、親って感謝しなければいけない存在、ということになっているじゃないですか。
でも、みい太の記憶を辿ると、親との記憶で嫌な思い出の方が多いんですよね。
親としたら、とてつもなく残念なことだと思うんですけど。
普段こんなことを口にしたら、
「なんて不謹慎な非常識なやつだ!親不孝者!」
としか思われないと思うので、このブログに書くことくらいしかできません。
だから許してください。
でも、やっぱり今考えても、みい太の親は「普通」ではなかったと思います。
両親ともに、みい太と同じように人付き合いが苦手で、親の「友達」という人に会ったことがありません。これまた不謹慎だけど、葬式の時に参列するの、みい太だけなんじゃないか、と思ってしまうくらい他の人との関わりがありません。
あ、不愉快だったら読むのをやめて下さいね。
みい太としても、正しく親に感謝したい、という思いはあるんです。そう思った時期もあるんだけど、やっぱり湧き上がる負の感情を抑えきれないのです。
みい太の子どもを連れて行っても、普通のおじいちゃん、おばあちゃん、という感じの応対ではないんですよね。
「あら~見ないうちに大きくなったね~」みたいなことも言いません。赤ちゃんだった下の子をあやしたり、おどけたりすることもありません。赤ちゃんの扱いに困るようだったので、実家に帰っているのに、「ちょっと買い物に行ってくるから見ててね~」ということもできませんでした。
食事時も自分のペースを崩されるのが嫌みたいで、みんなで食卓を囲む、ということはせずに、自分たちだけ別のスペースで食べています。これは、妻にとっては衝撃だったみたいですね。
なんか、みい太はそういう家庭で育ったから、それが当たり前と思っていたけど、自分の家庭のことを話すと、青年期から今まで会った人ほぼ全員が、
「それは変わっている」
って言うんですよね。そして、みい太自身も「変わっている」と言われます。
書いていて思ったのですが、みい太は、自分の「普通とは違う」というコンプレックスみたいなものを、親の育て方のせいにしたいのかな、と思います。
親のせいにすることで、少し自分の責任が軽くなる、みたいな感じ。
「全部お前の努力不足!」
と言われると辛いじゃないですか。
でも、
あの親じゃなかったら、もう少し楽に生きられたかもしれない。
と思ってしまうんですよね。親に言われた一言で傷ついたこともあるし、泣きながら歯向かったこともあります。
それを40代になった今思い出して、フラッシュバックのようにカッとなってしまうこともあります。
いいおじさんなんですけどね。
親と良好な関係、そうじゃなくても普通に話せる関係、というのがうらやましいな、と思います。
前回も書きましたが、妻は極めて普通の感覚の持ち主なので、みい太の親が異様に感じるようです。みい太の親と妻が会話しても続かないんですね。みい太もそうなんだけど、親は「たわいのない話」というのができないので。
みい太の両親は離れた所に住んでいて、携帯電話やパソコンを持っていないので、家の電話以外で普段連絡を取ることはしません。
そして、電話も数か月に一回程度です。その電話も30秒くらい。
込み入った話をすると、お互いカッとしてしまうので、自然に必要以上のことを話さなくなりました。
みい太も、このような関係を修復したいな、と思って、何度か腹を割って話し合う、ということをしたのですが、いつもお互いが感情的になってしまって、ただただ時間を無駄にしてしまった、という感じになってしまいました。
そんな訳で、現在は必要最低限のコンタクトしかとらないようにしています。
祖父が生きていた時は正月やお盆に親類一同が集まることがあったのですが、それもなくなりました。みい太同様、親も人付き合いが苦手、というか、好きではないのでしょう。
いわゆる「毒親」なのか?と思うこともあります。
親を思い浮かべた時に、どうしても負の感情が浮かんでしまう。
メディアで親と良好な関係が築けている、という話を見聞きすると、うらかやましくなってしまいます。メディアが作り出した虚像でそんな家庭は存在しないのでしょうか。
でも、親が子を殺したり、子が親を殺したりするニュースも見聞きしますから、「普通」の人が知らないところで、結構親子関係がこじれている、ということはあるのだと思います。
今、心配なことは、
自分と自分の子どもの関係もこのようになってしまうのではないか、
ということです。
下の子たちは無邪気で全くそんな気配はありませんが、一番上のお兄ちゃんは、小学校4年生ですが、もう思春期のような気配が漂ってきて、何を聞いても「普通。」みたいな感じになってきてしまっています。
今は、立場上親に従うしかないけど、その内、親を分析する視点も出て来るでしょう。
「うちの親、変だな・・・」
と思われると辛いなあ。
でも、歴史は繰り返すのだろうな。
なんとか抗いたいものです・・・。