先日、保育園の保護者会みたいなのがあって、保護者同士で子育てについて考える、という時間がありました。

大学の先生の子育てについての講座もあって、そこで大学の先生が、

「子どもの頃から選ぶことができる、ということが大事なんです。」

と言われていました。

保育園の遊びの内容も、先生が決めるのではなく、子どもが決めることが大事、ということでした。

ふと、自分の小さい頃を振り返ったのですが、

決める」ということをあまりしてこなかったな、と思いました。

前も書きましたが、みい太の親はすごく教育熱心で、ひっぱたかれながら勉強をさせられていました。何か口答えしても怒られるので、その内何も言わなくなってしまいました。

進学先も、気が付いたら決まっていた、という感じ。

どうしたい?」と聞かれた記憶がないんですよね。

もっと小さい頃から、

お前はどうしたい?

と聞かれていたら、変わっていたんでしょうか。

前に妻に、

自分で決めてないって言うけど、そういう人生にするって決めたのは自分でしょ。

と言われたことがあります。

確かに、

仕事が嫌だ、とか、もっとお金がほしいとか、忙しくて全然休めないとか、不平不満を色々言っているけど、そういう生き方を選んだのはあなただよ。

仕事が嫌なら辞めればいいし、お金が欲しいなら稼げばいいし、忙しくてもここは休む!って決めて休めばいい。

という考え方も見聞きします。

でも、みい太の場合、ちょっと違って、いわゆる「いい子」タイプの人間で、親にずっと従って生きてきたので、

自分で決める、ということを知らなかった。

という感じに近いんですよね。

え?決めていいの?

みたいな感じ。

自分の場合は、ちょっと親の抑圧が強すぎたと思うんだけど、

この感覚、定型発達の人には理解できないみたいで。

嫌って言えばいいじゃん。」

とか、

でも、自分で決めたんでしょ。

と、よく言われてきました。

こう言われると、なんか全否定された感じがして落ち込むんですよね・・・。

みい太だから、決めることができなかったのか、誰でもあの環境だったら決められなかったのか。

自分の子どもには決めさせてあげたいな、と思うけど、

自分はできなかったから、子どもにはやらせてあげたい

という考えは、みい太はしたくないです。

みい太は退職して別な道に進むことにしたけど、そうやって、

親だって自分で考えて決めている

という姿を見せたい。

そういう姿を見せれば子ども達も何か感じてくれるかな、と思います。

まあ、親が勝手に思っていることだから、子どもがなんて言うかは分かりませんが、

毎日辛そうで、愚痴ばっかり言っている親にはなりたくないですからね。

自分の力で環境を変えて、生き生きと働いているところを見せてやりたいと思います。