ブログを書くようになってから、1年以上が経ちました。
つくづく感じるのは、自分の世界が狭かったということ。
親も教員で、自分も教員で、教員の世界しか知らず、40代半ばまで普通に働いてきました。
SNSも全くやらず、このブログを書くのも大冒険、といった感じでした。
ブログを書くようになってから、色々な方のブログを見たり、それまで全く見たこともなかったフェイスブックやインスタグラムを見るようにもなりました。
みい太がやっていたスキーやダンスの動画も人間技とは思えない動きが日々アップされていて、つい見てしまいます。
みい太がスキーやダンスに熱中していたころは、YouTubeもなかったので、VHSのビデオやDVDを買って、それを繰り返し見るくらいしかなかったのに。
ものすごい情報量です。
教員以外の世界も知ってみよう、と色々と勉強もしてみました。
教員を辞めて起業して成功している人や、何千万の売り上げを上げている人もいて、面食らうばかりでした。
自分が想像もできない世界があるんだな、と思いました。
以前、色々な階層の人を取材している、という方が書いた新聞記事で、世界を動かしているような人は、1食50万の寿司を食べながら、ミーティングをして、億単位のプロジェクトを動かしていく。そうかと思えば、インスタントラーメンに100円のトッピングをするのが幸せ、という人もいる、という話がありました。
お互いに、感覚を理解しあうのは困難だろうな、と感じました。
インスタントラーメンに100円のトッピングをする幸せは理解できますが、億単位のプロジェクトを動かす人のモチベーションは何なんだろうか。
楽しいんだろうか。
自分に不可能はない、という感覚がたまらないんだろうか。
別にそれが普通、という感覚なのだろうか。
この世には、我々一般人が想像もつかないような、全てをコントロールできる全知全能みたいな人もいるのだろうか。
メディアに出てくる大富豪みたいな方はそれに近いような気がしますが、絶対メディアに出ない世界の支配者、みたいな人もいるような気がします。
ルパン三世のカリオストロの城に出てくる秘密結社のボスみたいな人。
幸福感はあるのだろうか。
みい太の感覚から言うと、なんでも手に入るわけだから、逆に不幸なんじゃないか、と思ってしまう。永遠の命だけ手に入らなくて苦しんだ、秦の始皇帝みたいなことになるんじゃないか。
でも、仮に世界を支配する組織があったとしても、組織の寿命は、何百年、長くたって数千年ですよね。
人間個人の寿命はどう頑張っても100年ちょっと。
世界の支配者になったとしても、個人はいずれ耄碌して、死ぬ。
理想的な栄養と、理想的な運動、ストレスは最小限で、庶民よりは長生きできたとしても、やがて終わりは訪れます。
全知全能に近づけば近づくほど、人間としての心の美しさ、みたいなものは、失われていくんじゃないか、と思うんですよね。
宮沢賢治さんとか、金子みすゞさんとか、生きている間は裕福な生活とは無縁だった人の方が美しく感じるのですが、どうでしょう。
ドナルド・トランプさん、イーロン・マスクさん、あまり美しさを感じません。
すごいと思いますが、羨ましくないんですよね。
宮沢賢治や、金子みすゞが決して幸せではなかったとしても、どこか美しさがあるのと同じように、人類全体も美しく存続していくことはできないものか、と思ってしまいます。
今、大人も子どももみんな疲れていて、殺伐としている。
今や、小学生くらいの子どもでも、すでに冷めた目をしています。
がんばってもどうしようもない、というあきらめの雰囲気。
何も知らない小さい子たちが一番美しい目をしている。
みい太の一番下の子は2歳ですが、眠りにつく前に目と目を合わせた時に、その美しさにはっとしてしまいました。
親に守られて、安心して幸せを感じている目。
この目が、大人になると、疲れ切って濁ってしまうのかと思うと悲しくて仕方ない。
世界の支配者はどんな目をしているんだろうか。
あまり覗いてみたくないような気がします。