HSP傾向があるからなのか、とても疲れやすくて困ります。現在は育休中で比較的時間がある方だと思うのですが、それでも疲れてしまう。
色々考え事をして、肉体的にというより精神的に疲れてしまいます。
育休を取るまでは、勝手なイメージで、ゆったりとした時間を想像していたのですが、とんでもない話でした。
ちょっと、ぼーっとしていたり、午前中に用があったりすると、すぐに小学生の子どもたちが帰ってきたり保育園の迎えの時間になってしまうので、あまり時間を有効に使えません。
みい太は家事が得意ではないので、洗濯物を干したり、料理をしたりするのも苦痛。普通に家事をしているだけで、とても疲れてしまいます。
ただ、現在育休中で一人の時間が多いのは助かる。
世の中はコミュニケーション力やプレゼン力が非常にクローズアップされていますが、みい太にとっては、とてもエネルギ-を使うことなのです。
先日、事務手続きで久しぶりに職場に行きましたが、先生方と話しているだけど、どっと疲れてしまいました。別に嫌いな人と話していたわけではないんです。普通の会話をするのにもエネルギーを使ってしまうのです。
この先、生きていけるのだろうか・・・。
なんだか単純に生きているだけで、負荷が高いのかな、と思ってしまいます。
人生をマラソンに例えると、走ってるんじゃなくて、歩いているだけで疲れてしまう感じ。普通の人には理解できないよなあ。
「お前、歩いてるだけなのに、なんで疲れてんだよ!」
って言われるでしょうね。
でもそんな体質なのに、体力勝負だと言われる教員を18年も続けたんだから、自分なりには頑張ったと思うんです。
歩いているだけで疲れるくらいなのに、ハーフマラソンくらいは走り切ったんですよ。
えらいえらい。
誰もほめてくれないから自分で褒めちゃう(笑)。
マラソンのゴールは人生で言うと「死」ですね。
日々、疲れることが多いから、ちょっと「死」というのが待ち遠しい感覚もあるんですよね。
こいつ、やばいんじゃないか、という感じかもしれませんが、自殺願望とは違います。
精一杯頑張った上で、マラソンで言えば全力で走り切った上でのゴールは気持ちいいと思うんですよね。
人生も同じ。
精一杯生き切って、迎える「死」は達成感があるんじゃないか、と思います。
死んだら、不安も、疲れも、痛みも、悩みも全てなくなる。
それって、実はみんなが望んでいることなんじゃないか。
うれしい、楽しい思いも、時間も全てなくなってしまうけど、生きている間に悔いがないくらい、いい思い出を作れれば、穏やかに死んでいけるんじゃないか。
マラソンだと、ゴールは待ち遠しいのに、「死」は、普通はできるだけ避けたくて、恐怖されるものになっている。
でも、絶対に死ぬんですから。
ゴールがなくて、永遠に走り続けなくてはいけないレースなんてそれこそ恐怖です。
能力の高い人は、人生の中でやりたいことがいっぱいあって、あれもしたいこれもしたいのに死がが迫ってくるから、怖い、と感じるのかもしれないけど、走るので精一杯の人はゴールするだけでいっぱいいっぱい。
人から見たら、何も成し遂げず、つまらない人生だったかもしれないけど、その人にとって、「生きる」ということがとても負荷の高いことだとしたら、全力で走り切った勇敢な人生かもしれません。
逆に、「走る」ことがなんでもないような優れた人はたくさんのことを成し遂げたようで、その人にとっては普通の人生なのかもしれない。
その人しかわからない、ということもある。
みい太は、人からみたら楽しているように見えるけど、結構内側では頑張っているんだぞ!
ということを言いたかったのです(笑)。
みんなには分からないと思うけど、今日も全力で走りたいと思います。