「早いもので」とはよく言いますが、本当に早い。
あっという間に3月になってしまいました。
1年間の育休生活も残りわずかとなりましたが、恐ろしいことにいまだに「自分のペース」というものが掴めません。
仕事の時は、朝早く学校に行って、あれをやって、これをやって、と仕事ができないなりに順番というものが確立されていたのですが、家事に関しては、本当にわからない。
自分が本当に家事が嫌いだからだと思うんですよね。
このブログでも何度も言っていますが、
「毎日掃除しなくてもいいよな。」
「ご飯の味なんてどうでもいいよな。」
「多少部屋が散らかっていてもいいよな。」
なんて、思ってしまうのです。
基本思考がそんな感じなんだから、本当に致命的です。
多分、みい太にとって、家事というものは、お給料をもらわないと頑張れないくらいのレベルの事なんでしょうね。
世間のママさん達も家事は嫌なんだろうけど、それでも基本レベルはみい太よりずっと上だと思います。
みい太がちょっと用があって、家事ができない時、妻は文句を言いながらもやってくれるのですが、そのスピードがめちゃくちゃ速い。
これが標準なのか?
妻が優秀なのか?
みい太が何十分もかかることを5分くらいでやってしまうような感覚です。
本当に自分の基本スペックが低いんだな、と思いました。
この1年間の育休生活、思うようなものにはなりませんでした。
色々と勉強をするぞ!体も鍛えなおすぞ!と意気込んでいましたが、結果は惨憺たるものです。
本もほとんど読めませんでしたし、運動も保育園送迎で乗る自転車や子どもと行くスキーくらい。
料理の苦手な自分が自分の食事を作っているから栄養不足にもなっています。
自分の認識が甘かったと思いますし、自分を自分で律する、ということができませんでした。
精神的にも不安定になる時もあります。
でも、そんな経験をしたからこそ言える、ということもあります。
世の中には、みい太のように不器用で困っている人もたくさんいると思うんですよね。
でも、そういう人達ってあまり発信しないし、見向きもされないから、いないことになっている。
女性で、育児をしているけど、ちっとも上手くできない、という方もいらっしゃると思うんです。でも、男のみい太でも、掃除していない、とか、片付けしていない、料理も適当、なんて言うのは憚られるから、女性だったら、もっと言いづらいんじゃないか。
男も女も関係ない、とよく言われるようになってきましたが、それでも育児・家事は母、という固定観念は根強いものです。
特に女性で、掃除ができなくて、部屋が汚かったりしたら、世間の風当たりは相当なものではないでしょうか。
養育能力がなくて、子どもをネグレクトして死なせてしまった、というニュースを聞くことがありますが、絶対に許されないことだけど、本当に能力が低くて家事・育児がこなせなかった、ということもあるんじゃないか、と思うんですよね。
家事、育児をこなせることは当たり前のことではない
ということをまさに今痛感しています。
なんだか、今の世の中、能力の高い人を中心に社会が構成されている感じがするんですよね。
そこについていけない人にとっては、とても生きづらい。
能力の高い人の弱点は、能力の低い人の気持ちがわからないことだから、
「そんなやつらのことは知ったこっちゃない」
のかもしれないけど。
みい太も自信をもって生きていく、ということがすごく難しいけど、そういう人にも温かい世の中であってほしいな、と思っています。
これまで、嫌なこと、辛いこと、たくさんあったけど、その経験のおかげで、今の自分がある、というようなことを言える自分になりたいな、と思います。
今はまだ言えないけど。
いつか、そう言って人生のゴールを迎えたいな。