3月も終盤になってきました。
みい太は現在育休中。
身分としては一応小学校教員ですが、3月をもって退職します。
もし、担任をもっていたとしたら、
「この子達ともお別れだな・・・」
とか、
「教員の仕事もこれで最後だな・・・」
などと、思っていたと思いますが、現在育休中なので、ほとんどその感覚はありません。
この辺は、我ながらうまく現在の職場からフェイドアウトしたなあ、と思っています(笑)。
妻の職場では(妻も教員です)、4月からの人事は共有されたようなので、自分の職場でもみい太が退職する、ということは同僚に知らされたはずですが、特にリアクションはありません。
40代半ばでの退職は、教員の世界ではイレギュラーなことだから、
「病んじゃったのか・・・」
「何かあったのか・・・」
と、腫物に触るような感じなのかもしれません。
まあ、別にもう「どう思われるか」というのは気になりません。
教員を続けるなら、今後のこともあるから、立つ鳥跡を濁さず、ということは大事かなあ、と思いますが、退職するわけですから。
「退職」というのは強い。
やめちゃうんだから、怖いものなしです。
「教員だからなあ・・・」
というブロックが全部なくなる。
すごいことです。
仕事面でも、4月からの学級経営とか、教材の注文とか、行事の計画とか、全部なくなる。
自分ではどうしようもない人事に文句を言うこともなくなる。
教員をしていると、3月から4月にかけては気が重かったですが、
全部ゼロ。
自分で決めた退職。
なんだか、すごく能動性を感じるんですよね。
このコントロールしてる感覚が気持ちいい。
「みんなやめたらいいのに・・・」
なんて、めちゃくちゃなことを言いたくなるくらいです(笑)。
現場の先生方は、今、体力的にも精神的にもギリギリのところでやっています。
ブラック、ブラックと言われる割に、一般の方にはその過酷さがあまり伝わっていない気がするんですよね。
みい太の退職はかなり異例のことだと思いますが、その内、教員の退職が異例ではなくなる時代がくるんじゃないか、と思っています。
これだけ、テレビCMでも転職を扱っていますし、終身雇用制の崩壊、なんてことも言われているわけです。
でも、いまだに一度教員になったら、定年まで勤めるのが普通。
教員の世界は、世間一般に比べるとだいぶ遅れています。
一回退職して民間の仕事を経験して、また教員になる、なんてことができたら、すごく人間としても幅が広がっていい先生になると思うんですけどね。
そして、教員から民間、民間から教員、という出入りが活発になれば、教員の仕事も一般の方に認知されるし、民間の感覚が教員の世界に入ってきて、とても良いと思います。
まあ、そんな風に柔軟なキャリアチェンジができるようになるのは、まだ先の事だと思うので、みい太は自分でキャリアチェンジしちゃいます。
教員を辞めることで、世間一般でいう「安定」とか「世間体」は失いますが、どっちにしろ生きていくのは大変なんだから。
みい太なんて、常にクヨクヨ悩みが多い人生だから、教員を続けていたって悩んでいるだろうし、教員を辞めても悩んでいると思います。
どっちにしろ悩むんだったら、違うことして悩んでみたい。
教員のすばらしさは、重々承知の上です。
若い時は、早朝から深夜まで働いたし、学級通信も毎日書いたし、やらなくてもいいような仕事もたくさんやりました。
初めて卒業生を担任した時、思い入れがありすぎて、担任した子一人一人にA31枚の卒業証書を徹夜で作って渡しました。
運動会や学芸会では、曲選びから編集、振り付けまで全部一人でやって指導しました。
若気の至りだね、と笑われるかもしれないけど、みい太なりに全力で仕事をしました。
今の時代、もっともっと優秀で、すごい取り組みをしている先生はいっぱいいると思うけど。
でも、すごいやりがいがあった。
時代が変わったのか、歳を取ったのか、今、やりがいがなくなってしまった。
毎年同じことの繰り返し、と感じるようになってしまいました。
同じことの繰り返しを淡々とこなしていく先生もいると思いますが、みい太はモチベーション的に無理でした。
退職する不安はもちろんありますが、教員を続ける不安の方が上回りました。
若い頃から「人とは違う」という感覚がすごく強かったから、人と違う人生を生きていくのは、必然なのかもしれません。
教員を続けていたら、4月からの生活は大体予想できるけど、退職してからの生活は、予想できません。
というか、自分で決めていかないといけない。
自分で決めるのはあまり得意ではないけど、それを楽しんでいけるくらいのスタンスでやっていきたいと思います。
来週は、息子の卒園式、自分の退任式など色々な行事があって忙しいけど、がんばるぞ!