皆様、お久しぶりです。
本当に気の向くままに書いているので、筆不精をお許し下さい。
小学生の息子が、夏休みの学校の課題で「平和作文」というものを書いていました。
この平和作文、大抵は戦争について考えたことを書く、という子が多いと思います。
ただ、現代の小学生くらいの子が、戦争について、本当に深く考えることができるのか、と言ったら、はっきり言って疑問です。
課題を出している先生方だって、戦争と平和を本当に理解しているか、と言ったら疑問。
みい太は教員だったけど、毎年なんとなく夏休みの課題を出していました。
夏休み前の教員は忙しくて、夏休みの課題を出す意義、とかそんなにじっくり検討できないんですよね。
みい太が小さい頃、おじいちゃん世代は戦争を経験していた世代だったので、
昔は、おじいちゃんや、おばあちゃんに経験を聞いて、感想を書く、というのが定番だったように思います。
ただ、今年で戦後80年となり、戦争経験者でご存命の方が少なくなっています。
今の子どもたちにとって、直接経験談を聞くことができる機会は少ないのではないでしょうか。
親世代のみい太達も、戦争をリアルに感じ取ることは難しいのだから、今の子どもたちにとってはさらに難しいと思います。
今、息子達は夏休み中で、エアコンの効いた部屋で、ポケモンのアニメを見ながら過ごしています。
そんな子たちが、肉親が目の前で殺されたり、幼子が足手まといになるから親自ら殺さなくていけなかったり、家族がみんな死んでしまって自分だけが生き残ってきた、という地獄のような話を理解できるのか。
無理ですよね。
今の子たちは世の中全体が狂ったような「戦争」という概念を、実感をもって受け止められないと思います。
今の子たちは、「死ね」「殺すぞ」と気軽に口にします。
もちろんふざけ半分だと思いますが、人の死に直面した人は気軽にそんな言葉は使えないと思います。
戦時中の子どもたちは絶対にそんな言葉は使わなかったのではないでしょうか。
昔、みい太の祖父(2016年、87歳で逝去)が元気立った頃、学生だったみい太が夏の暑さに耐えかねて、
「死ぬほど暑い」
と言ったら、
「そんなこと言うもんじゃない」
とたしなめられました。
戦争を経験した世代の方には、「死」は本当に真実味をもって感じられるものだったのでは、と思います。
みい太は、戦争を体験された方の体験談を新聞などで読んで、できるだけ想像しようとしますが、100%想像することはできていないと思います。
想像しようとするだけで、苦しくて辛い。
本当にその時代に生まれなくてよかった、と思ってしまう。
今、だらだら楽をして生きている自分が申し訳ない。
そんな思いで、戦争の惨さを自分の子どもたちに伝えようとしても、ピンとこないという表情をされます。
意味がわからない、という感じ。
80年が経って、昔の世代の方の数えきれない悲しみがあった上で、
今の子どもたちは、戦争の悲惨さの意味がわからないくらい平和になりました。
日本人は平和ボケしている、とよく批判的に言われますが、それ自体は悪いことではないような気がします。
戦争を体験した人は、
「もう二度と戦争を起こしてはならない」
「次の世代にこの苦しみを味合わせたくない」
ということを言われます。
だから、今の世代にできることは、戦争の苦しみを味わうことではなく、祖父母、曾祖父母がつないでくれた命を大切にして、精一杯、楽しく生きることではないか、と思います。
戦争を知る世代の孫やひ孫が、平和に暮らしていることは、平和ボケと言えども、すばらしいことなのではないでしょうか。
みい太は教員だったので、授業の中でも戦争の話題に触れたことがあります。
でも、どれだけ真剣に伝えようとしても、
そのあとの休み時間は、子どもたちはふざけて「お前、死ね、殺すぞ」と言っています。
今の日本は、色々と物騒になってきたと言われますが、やはり信じられないくらい平和なのです。
そんな平和の中で、平和の大切さに気付くことは難しいことだと思います。
健康でいると、健康の大切さに気付かず、病気の時に健康のありがたみを実感するように。
世界には、かつての日本のような悲惨な状況の国がたくさんあります。
自分と同じくらいの世代の子が飢えて死んだり、両親を亡くしたりしている・・・。
エアコンの効いた部屋で、ポケモンを見ている子どもたちは本当の意味で理解することはできないでしょう。
もし、今後日本が戦争をすることになったら、この子たちはどんな顔をするのか。
太平洋戦争の時もそうだったと思いますが、いつのまにか、レールが敷かれていて、有無を言わせない形で戦争に向かって進んでいくことがあるのではないか、と怖くなる時があります。
ちょっと例えは悪いかもしれないけど、マイナンバーカードだって、結局よくわからないまま、それに従うしかない状況になりましたよね。
みい太はぎりぎりまで作らないつもりだったけど、証券会社の口座を作るのにマイナンバーカードが必要だということで、しぶしぶ作ることにしました。
ちょっと、この強引な流れが信じられないですけど。
戦争に関して、同じようなことが起きない、とは言い切れないんじゃないか。
その内、戦争を肯定する政策に賛成すれば補助金が出たり、子どもが軍隊に入ればその家は安泰みたいな政策が出てくるんじゃないか、と思ってしまいます。
「お隣さんが入ったんだって」
「入らざるを得ないかねえ・・・」
みたいな、会話がご近所でされて。
直接的だと拒否反応が出そうだから、ゆるやかに世の中がそういう感じになるように仕向けられていたりして。
マイナンバーカードが既にそうなのか。
今、日本の国力みたいなのが衰えているから、日本を再び強くしよう!という考えが広まってきていますよね。
日本もしっかり軍隊を作って、なめられないようにして、外交もしっかり強気で対応して。
でも、そうなると、いずれどこかの時点で戦争に参加することは避けられないと思うんですよね。
「核武装が安上がり」発言も話題になりましたが、弱い不良がなめられないようにナイフを隠し持っているみたいだなあ、と感じてしまいます。
武器を持っている人がいる以上、いつか誰かが使うと思うんですよね。
みい太は国を守ることも必要だと思いますし、軍隊は絶対反対!という訳でもありません。
国を守る、ということは大切なことだと思います。
じゃあ、どうしたらよいのか。
不勉強で、頭もよくないので、本当にどうしたらいいかわからない。
でも、「なめられないように」って、暴力をちらつかせないと交渉できない世界ってなんなんでしょう。
みんな、ナイフや銃をちらつかせているような、緊張感のある「平和」でいいのだろうか。
誰かが武器を使って、誰かの家族が亡くなれば、新たな憎しみが生まれる。
絶対に報復の核戦争が起こります。
イスラエルとパレスチナ問題を見ても、憎しみの連鎖は、もはや解決は不可能なのではと思えるくらいです。
みい太が生きている間は大丈夫としても、子や、孫の世代まで考えると、いつかは…と思ってしまう。
日本がこのままでいいと思っているわけではありません。
「失われた30年」と言われるように、日本が経済的にも、技術的にも世界的に見て遅れをとったのは事実だと思います。
30年前、みい太が学校で習った時は、日本は経済的にも技術的にも世界のトップクラスでした。「Made in Japan」に自信をもつことができていました。
今は違います。
日本が虐げられているかのような報道が多く、日本人であることに自信がもてません。
意図的にそうされている、という考え方もあるようですけど。
みい太も確かに、日本は元気がないと思うし、経済的に発展したり、新たな技術を開発したりして世界をリードするような国になってほしいな、と思います。
日本人ですからね。
でも、日本が発展するために、軍備を増強し、強い交渉力を手に入れて、今のアメリカのようになって、世界の国々と均衡状態を保てたとして、
それは見せかけの「平和」状態だと思うんですよね。
持続可能な平和ではない。
じゃあ、どうしたらよいのか。
教育をきちんとすることが大切なんじゃないでしょうか。
みい太が教員だったから言うわけではないけど。
優れた教育をして、優れた人材をたくさん生み出すことができれば、時間はかかると思うけど、日本は発展していくと思うんです。
少なくとも「核武装」より絶対に持続可能です。
残念ですが、今の公教育では優秀な人材は育てられない。
優秀、というより、しっかりとした教養のある大人を育てられない。
みい太は公立小学校の教員だったからよくわかります。
理由は、教育にお金をかけていないから。
公立の先生方は疲弊してすでに限界ですが、先生方を守る実効性のある制度は拡充されていません。
給料を上げるとか、教員の数を増やすとか、すごい単純なことでいいと思うんですけどね。
失われた30年は教育が失われた30年でもあると思います。
それでも、国は教育にお金をかけるつもりがないようですので、公立学校はいつまでも、質のいい教育ができません。
意図的に国民をかしこくしないようにしているのだろうか。
と、愚痴ばかりを言っていても仕方ないので、現在、みい太は友人が立ち上げたNPO法人に参加しています。
内容は、教員のリソースを生かした地域貢献。
今の公教育では、自由度に限界があるので、学校の外から何かできればいいな、と思って。
自分達のNPOのインスタがあるので、時間があればお立ち寄りください。
みい太はダンスとスキーくらいしかできないけど、地域の子どもたちに何かよい体験をさせられたらいいな、と思っています。
影響力のある教育実践をたくさんしている人から比べたら、微々たるものだけど、口ばっかりでなく行動することが大事ですからね。
後、自分の子どもたちにもそういうのって伝わるじゃないですか。
「ハチドリのひとしずく」の話ではないですが、嘆いてばかりいても何も変わらないので、まず自分にできることをしてみる。
この活動が、直接世界平和に結びつくとは思わないけど、一人一人が少しだけチャレンジをして、自分にできることをしていけば、ひょっとしてひょっとするかもしれない。
このブログでは何度も登場していますが、まさにマイケル・ジャクソンの「マン・イン・ザ・ミラー」。
「まずは鏡の中の男から」の精神で頑張りたいと思います。