仕事で、パソコンを開くと、「おくやみ欄」という、学校の先生方の親類が亡くなられたことを知らせる欄があります。亡くなられた年齢も載っているのですが、大体80歳後半くらいの方が多いです。
朝、パソコンを開いて一瞬見るくらいの情報なのですが、ふと、自分もこんな風に載る日がくるんだろうな、と思うことがあります。普通に一生を無事に終えて亡くなっていくのも大変なことで、ご家族の悲しみも相当なものだと思うんですが、赤の他人が見れば、
「あーまた、誰か亡くなったんだな・・・。授業の準備しよ。」
くらいの感覚で、気に留めるのも一瞬でしょう。
自分の祖父は87歳で亡くなったのですが、亡くなる一か月前くらいまでは元気で、亡くなった日以降のカレンダーにもゴルフの予定などが書き込まれていました。自分が死ぬとは思いもしなかったのでしょう。
祖父は、すごく体力があって、90歳までは確実に生きるだろうな、と思っていたけど、あっという間に衰えて亡くなってしまいました。深い悲しみと同時に、
人の一生ははかないんだな
、と痛感しました。
40代になって、
「人生の半分を生きたんだな」
と感じることがあります。そして、
「何も成し遂げてないのに半分過ぎてしまった」
、とも感じます。
小さい頃は、偉人の伝記を読んで、漠然とこんな風になれたらいいな、いや、なれるんだろうな、なんて思っていましたが、いやはや、後世に名を残す人達の才能や努力、精神力って想像を超えていますよね。だから、偉人なんでしょうけど。
自分は、授業で子どもたちに
「みんな生まれてきただけでエリートなんだよ」、と言うことがあります。
生命が誕生してから、これまで命がずっとつながってきて、とぎれていないんだから、それだけで選ばれた人間なんだよ、と。
最近の子は特に自分に自信がない子が多いと感じます。そういうみい太も自信がない大人ですけど。でも、やっぱり自分には価値があって、意味がある!って思いたいじゃないですか。
普通に生きて、普通に一生を終えるだけでも、すごくすごく大変なこと。
生きることの辛さに耐えかねて、自ら死を選ぶ人だっています。
みい太もそんなことが頭をよぎったことがあります。
だから、特別な功績がなくたって、何も残せなくたって、「生きた」という事実があれば、みんな偉いんじゃないか、と思います。
なんだか、時代がすごく優秀さを求めている気がして、疲れますね。みんな、イケメンCEOを目指している気がして。
のんびり、無理せず生きましょうや。
って誰も言わないんですかね。
時代を切り開くような革新的な考えや才能をもっていないと、生きていちゃだめなんでしょうか。閉塞感がすごくて、ますます、少子化が進むんじゃないか、と感じます。
だって、子どもの未来を考えた時にハッピーな感じをもちづらいですよね。子どもが持てるのは、超優秀な超富裕層だけになっていくんじゃないでしょうか。
そうして、日本人は、いや、人間は衰退していくのかな・・・と悲しくなります。
今、わたしたちは、人間の歴史の後半にいると思います。自分の子どものことを考えると、せめて後半で、末期ではあってほしくない、と思ってしまいます。
でも、子どもの子どもの子ども・・・、と考えていくと、いずれ、最後の人類、というところまで行っちゃいますよね。
最後の人類は何を思うんだろう。人の一生と一緒で、人類という生物が繁栄した、という事実があれば、
「人類えらい!」
ということになるのかな。でも、人類は愚かな気もするけど・・・。
人類の歴史という長いスパンで考えると、自分の一生なんて一瞬ですよね。くよくよしたってしょうがないのかな。
気になるけど(笑)。