徒然なるままに書いてしまうのですが、昨日車の部品交換に言ってきたんです。そこの店員さんがとても不愛想で。車屋さんだから職人気質が残っているのかもしれませんが、「サービス業じゃないの?」って思っちゃいました。

みい太は教員だけど、その店員さんよりも笑顔がすてきな自信があります(笑)。前も書いたけど、なんだか最近のサービス業の方々って不愛想なんですよね。(「感情労働。」参照)

みい太周辺だけなのかな。みんな疲れているような気がします。

時代?政策?いろいろがなんだか疲弊しているのかな。

作業の待ち時間が1時間くらいあったので、子どもを連れてぶらぶらと近くを歩きました。そしたら、ちょっとした広場で大道芸のパフォーマンスをしていました。子どもと一緒だったから時間をつぶすのにはいいかな、と思って見てみました。

重ねた椅子の上で逆立ちしたり、ジャグリングのようなものを見せたり。「大道芸」って感じのパフォーマンスです。終わった後に

「自分のパフォーマンスにお金を払ってもいいっていう方はぜひ!大人の方は折りたためるものを!」

言っていたので、少し迷ってしまいました。

いつもそういう時は、足早に立ち去る大人の側だったから。

子どもに、「どうする?いくらか払う?」って聞きました。いや、聞いちゃいました。

大人としてずるいな、って後から思いました。

子どもが払うっていったら払おうかな、という姿勢がちょっと情けないですよね。

子どもは「いや、いい。」って言ったんだけど、結局みんながひとしきり払い終わった後に、後片付けをしているお兄さんに声をかけて1000円払いました。圧倒的なパフォーマンスだったわけでもないです。特に盛り上がっていたわけでもない。はたまた御曹司の道楽かもしれない。

「だまされて金払ってやがる、ちょろいぜ・・・」かもしれない。

以前の自分だったら、そもそもパフォーマンスに足を止めることもなかったでしょう。子どもがいたから、止めやすかったのかもしれないけど。そして、絶対お金を払わなかったと思います。

でも、今年1年、仕事のこととか、将来のこととか、健康のこととか、色々考えてきて、大道芸でお金を稼ぐということはどういうことか、って考えてしまったんです。

教員って、1か月耐え忍べば、勝手にお金が振り込まれます。その反面、お金をもらえることに対する感謝を忘れてしまっているのでは、と思います。

別に手を抜いても給料変わらないし。というか、給料が変わらないのであれば、できるだけ手を抜かないと、こちらの身体が壊れてしまいます。それだけの仕事量を求められる現行の制度の方がおかしいんだと思います。

1000円を感謝しながら受け取ってくれる姿を見てそんなことを感じました。

子どもには、「こういうお仕事もあるんだよ。」と言いました。教員の甘さなんでしょうか。自営業の人なんかは「いや、今のは、1000円に値しないパフォーマンスだった。」と思うのかな。

こういう大道芸人だった人が教員になったら、すごくいい先生になると思うんですよね。指導案の書き方とかはどうでもよくて、人生経験としてそういうものがバックボーンにあったら、めちゃくちゃ面白いじゃないですか。

「ヨーロッパのお客さんはすごく盛り上がってくれてね・・・。」みたいな話をしてくれたら、いいですよね。

そんなことを考える機会になったので、自分にとっては1000円の価値はあったかな、と思いました。