先日、テレビのニュースで教育虐待が取り上げられていました。親が子どもの勉強に関して厳しく叱責したり、体罰を加えたりする、という内容でした。
体験したという方が、
「その時はそういうものだと思っていた」
とおっしゃっていましたが、まさにみい太もそれでした。みい太の母親はとても厳しくて、勉強をしないと布団叩きでいつも叩かれました。布団叩きの跡が背中に残って、それを友達に見せていた記憶もあるのですが、当時は「お母さん厳しいんだねー。」で済んでいたように思います。
だからみい太は「布団叩き」と聞くと暴力的なイメージを思い浮かべてしまいます。
ある時、母親が計算ができないみい太に苛立って手のひらにボールペンを突き刺したことがあります。まあ、突き刺すつもりではなかったのかもしれないけど、確かに自分の手の甲にボールペンが、突き刺ささりました。その異様な光景は、鮮明に覚えています。
今だったら、虐待で学校から児童相談所に通報されるところだと思いますが、小さい頃って親は絶対だから、まさに「そういうものだ」と思っていました。大人になってから親に「あれはどうかと思うよ」と言ったことがありますが、答えは「お前のためを思ってやった。」でした。
みい太が体力的に母親を上回った高校性の時に家庭内暴力に発展してしまいました。これは、本当に最低な人間のようで嫌なんですが、その時は、それまでだまって言うことを聞くしかなかった親に反抗できる、という下卑た快感があったのを覚えています。
暴力で子どもを言うことを聞かせても、結局暴力で返されるだけなんだ、と今は思います。母親は教育熱心で、学校から帰ったら毎日勉強させられたし、食品にもこだわりがあって添加物の入った食品も食べてはいけませんでした。母親の作る料理はほとんど塩分が入っていなかったので、なかなか食が進まず、食事にとても時間がかかりました。食べないと怒られるから、「食べない」という選択肢はなかったです。
冗談交じりにその頃の話を知り合いにすることがあるのですが、「食べなければいいじゃん。」と言われることがあります。でも自分の中では、選択肢はなかったんです。
なんでしょう、マインドコントロールのような状態だったのでしょうか。
大学の時は、親元を離れて祖父と二人暮らしをしていました。父親に、1人暮らしをしている祖父と一緒に暮らしてくれ、と言われたので、「うん」と言って、祖父の家の近くの大学に行くことになりました。
自分は当たり前と思っていたのですが、大学で出会う人がみんな
「へえー、それで親の言うことを聞いて? いい子だね~」
と感心したように(呆れたように?)言うので、
「自分っていい子なんだ!」
と思ったのを覚えています(笑)。
冷静に考えれば、大学は自分で行きたいところに行くものだと思うのですが、小さい頃から親の言うことに従うのが当たり前だったので自分軸というものが全くなかったんですね。
これは、今でもないです。自分が本当に何をやりたかったのかわからない。本当に教員をやりたかったのかもわからない。父親が教員だったから、選びやすかったのか…。「親が教員だったので、いいな、と思って」「子どもが好きなんで」という嘘くさい理由でも、周りは「ふーん」と流してくれたので。
でも、大人の言うことをよく聞く「いい子」だったから、そして、期待に応えようとする子だったので、よくわからないまま選んだ教員の道でもがんばりました。
「いい子」はいつの間にか「いいおじさん」になってしまいました。
あっという間でした。
「少年老い易く学成り難し」
痛感しています。1人の人間の人生において「親」というものの影響の大きさを考えます。虐待死のニュースがある度に、親が愚かなために、すごく優秀かもしれない子が命を絶たれてしまうということがあるんだな、と思います。
子どもは本当に無力で、従順です。そして、世間には「親には感謝しなければいけない」という暗黙の前提があります。
これも当事者からすると辛いことだと思います。親への反感を口にすると、決まって
「そんなこと言うもんじゃない」
と言われたものです。それは「普通の」親の場合ですよね。みんな、なんでわかってくれないんだろう。
多分わかってくれる人はいると思うけど。
よく「人は育てられたようにしか育てられない」と言いますが、自分の経験を振り返ると、ものすごく重く感じます・・・。