学校の先生は、何かと生徒を評価する必要があるので、基本的な思考が上から目線になりがちです。

あの子はリーダー性がない。」とか「あの子は臨機応変に対応できない。」とか「あの子は応用力がない。」とか、先生同士の会話では子どもについて散々な言い様です。

みい太も学校の子について職員室で色々同僚と話すことはありますが、自分が子どもの時って、それこそリーダー性もないし、臨機応変にできないし、応用力もなかったなあ…、と思ってしまいます。(後、自分の子どもができると少し考え方が変わりますけど)そんな自分が、先生になった途端、えらそうに子どもを評価していることに違和感を感じてしまいます。

みい太は一人っ子でHSP傾向があるのですが、先生同士が、「あの子は一人っ子だからねー。」「あの子HSCだよね。気にしすぎ。」みたいな会話をする時があります。目の前のみい太がその可能性があるとは、思いもしないのかな。人知れず傷つくこともあるんですけどね。やっぱり先生になる人って外交的で強者であることが多いのでそういう風になるのでしょうか。

みい太は相手が小学生であっても、上から接するのが苦手で。

「おい、この課題次までにやっとけよ!」みたいなことが言えないんですね。「休み時間なくなったら嫌だろうな。」とか、「次の時間の授業中にやればいいか」、なんて思っちゃう。だって、子どもは休み時間に遊びたいじゃないですか。それぞれの教科の先生から課題が出されたら、休み時間なくなっちゃいますよ。

先生の中には、「高学年になったら、休み時間なんてないんだよ!」という指導をする人もいるけど、みい太は休み時間は休み時間として確保してあげたいです。

担任している5年生の子が「休み時間に遊んでくれる先生は初めてだからうれしい」って言うんですが

4年間、休み時間に遊んでもらってないの?!って思ってしまいます。

最近は小学校も教科担任制が進んできて、中学校化が進んできているので、なんだか違和感を感じます。もっとのんびり先生をしたいんですよね。

「なんか今日天気いいから国語やめて外で雲の観察でもしようかー」

って感じが理想なんだけど。

話が逸れてしまいましたが、みい太は仕事もできないし、性格的に上から物を言うのも苦手なので、友達感覚のお兄さん(おじさんか)先生でずっとやってきたんですが、学年主任ともなると、自分のポジションとスタイルのギャップがでてきてつらい・・・

なんでもかんでも、歳をとったら順番に学年主任→教務主任→教頭→校長→はいゴール!みたいのっておかしいんじゃないか?と思います。若くてもリーダーシップがあって学校を動かしたい!っていう人はいるし、歳をとっても子どもと一緒にいたいって人もいると思うんですよ。

ゆるーい先生をやらせてくれるなら、いつまでも先生やっていたいと思うんだけど。のんびり授業をして、休み時間は子どもと遊んで、時には算数の授業の予定だったけど急に予定変更しちゃう。

今日はこないだ見た映画が面白かったから、ちょっとみんなで見てみようよ!英語の授業だ。英語、英語!

みたいな。

ずーっと昔、みい太はそんな先生でした。

なんか、今の自分、面白くない先生だなあ・・・。って思ってしまってつらいです(涙)。