今日は下の二人の子が熱を出したので保育園の送り迎えがありませんでした。発見!送り迎えがないと、上の二人は小学生なので、送り出すだけ。家の外に出ずに生活できる!娘は相変わらず泣きながら学校に行ったけど…。

買い物は昨日野菜を買っておいたし、オムツは近所の薬局のポイント10倍デーでストック済み。今日は雨も降っているし外出せずに過ごそうかな。だんだん感覚が主婦になってきました。

下の二人は、朝ご飯を食べるとゴロゴロして、少し暇そうなので何か見ようということで久しぶりに「となりのトトロ」を見ることにしました。子どもたちも何回かは見ていると思いますが、その時の記憶はないようで、初めての感じで見ていました。トトロの時代設定は今のおじいちゃん、おばあちゃん世代の幼少期でしょうか。スマホもネットも何もないけど、なんだかいい時代だなあ、としみじみ思ってしまいました。「もう、スマホなしでは生きられない!」って不幸なんじゃないか…。

テレビやスマホばっかり見ているのはよくない!やっぱり本だよね!と以前は子どもたちのために、図鑑や本をよく買ってあげたのですが、下の1才の子がビリビリにやぶいてしまいました。今家にある図鑑はみんなボロボロです。子どもって全く躊躇がないので、怒るのを通り越して感心してしまいます。

そのボロボロの図鑑の一つに50億年後の地球というページがありました。太陽が膨張し、地球との距離が近くなるので、太陽の熱で海水は蒸発し、生物は全て死滅しているでしょう、という話。人の一生と一緒で、人類にも必ず終わりはあるわけです。

地球が誕生してから46億年で人類はスマホとか、ネットを使いこなすように(スマホやネットに使われている?)なりました。でも、どんなに高度な技術をもっていても、水のない世界では生き残れないでしょう。そもそも、何億年というスパンではなく、後1000年くらいでも人類は生き残れないんじゃないか。SDGsなんて言葉がありますが、どこまで持続可能なんでしょう。

今の人類の技術の発展は何のためなのか。個人の一生では、「どうせ死ぬんだから好きなことをやりましょう!」と幸せを追求したっていいと思いますが、人類全体のことや、ずっと先の世代のことを考えた場合、幸せってどう捉えればいいんでしょう。各国のリーダーや巨大企業のリーダーが人類の幸せを考えているとは思えません。「人類もどうせ絶滅するんだから、パーっとやりましょう!」じゃ、ますます人類の終わりを早めてしまいます。

縄文時代くらいが人類にとって一番幸せだったのか。だって、今よりもはるかに持続可能な社会だったわけですよね。1万年くらい続いたわけですから。

人生100年時代といいますが、今1才の息子が100才まで生きたとして、その時どんな景色を見ているのでしょう。地獄絵図ではないことを祈るばかりです。

トトロを見ながら寝てしまった息子を見ながらそんなことを考えた昼下がりでした。