「いい授業」というものができません。指導案があって、単元計画案もあって、ねらいとか発問とか決まっている授業ですね。

まず、昔から授業を人に見られるのがだめで、緊張しちゃうんですよね。さすがに、今は中堅と言われる年代なので平静を装いますけど。

そもそも、

「ねらい」とか「発問」とか、全てうそくさい

と感じてしまうんですよ。授業のための授業って感じがして。

後、「話し合い」

意味のある話し合いになっていたか、

とか、よく協議会で話し合うんですけど、

そんなうそくさい話し合いしてどーするの?

って思っちゃうんですよ。

結局、大人になってする話し合いで大切なことって

「根回し」

とか、

「ノーと言われても押し切るハートの強さ」

とかそういうものじゃないですか。

子どもたちに道徳をやらせて、話し合わせて、オープンエンドで終わって道徳的価値観がどうとか児童の変容が…とかいうんですけどね。

本当にこの授業が、子どもたちの価値観を変えるものになっているのかな、って思うんですよね。まあ、自分が本当に不勉強で、実力がないからだと思うんですけど。

前に、授業中にブラックジャックを読んでいる子がいたんですよ。道徳の授業ではなかったけど。

普通だったら注意しますよね。

でも自分はできなかった。

この時間、

この子にブラックジャック以上の価値を提供できるのか?

と考えてしまったんです。

それは無理だな、と思って注意できなかったんですよね。

だってブラックジャック面白いじゃないですか(笑)。

教員としての自分に自信がないからだと思います。普通の先生だったら、「何授業中にマンガ読んでんだよ!」で終わりだと思うんですけど。

でも、自分の小さい時を振り返って「火の鳥」を読んだ時のなんとも言えない「うわあ、生きるってなんなんだろう」みたいな「ずおーん!」って心に響くような経験は、自分の授業では絶対できないと思うんです。

こんな自分が、授業をしてきたんだから、文科省がどんなことを言っても、末端の学校というものは随分いい加減なんだなあ、と感じてしまいます。